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学生の声

日常が、道標に。ー秋田県立大学/金子 実生さん

学生の声

プロフィール

金子 実生(かねこ みう
秋田県立大学 生物資源科学部 アグリビジネス学科 2年生

高校から続けてきた「日本酒」の研究を深めるために、大学では「日本酒の流通」に焦点を当て研究をしている。大学での研究を深めるために学外活動を行い、秋田県で道の駅のバイトや自身の写真を生かし「まちプラあきた中央PR大使」として現在活動中。「一日一笑」をかかげながら日々挑戦を続ける。

 いままでの日常が価値観に

―祖父の存在が今の価値観へ
母方の韓国人である祖父が5歳で来日した時に、韓国の実家が火災に遭い、祖父と祖父の兄が生計を立てるために日本で生活をしていました。祖父が日本に来てどんな苦悩にも耐えてきたからこそ、私は日本に生まれることができたと思うと感慨深いです。祖父が日本にいなかったら、これからお話する価値観は育まれなかったと思います。

―身近に触れていたことが関心に変わる
コロナ渦の中で、「黒人差別」がニュースとなった時に友人がこんな言葉を発しました。

「日本は差別がなくてよい」

しかし、私には一人ひとりが自覚すべき「見えない差別」が日本にはあると感じます。なぜなら、元韓国国籍の母が日本で差別を受け、その事実に多くの人が目をそらし、被害者としての母の声が届かなかったことを知っているからです。私はこの出来事から、多くの人が目をそらしてしまう問題への関心が高まり、授業で興味を持った「発展途上国」について学びたいと思い、農業高校へ進学しました。

金子実生さんが中学時代に綴った作文

「日本酒」を学ぶ道に

―「ワイン」との出会い
ある日、近所の人の知り合いの息子さんがイタリアでワインづくりをしている話を聞き、「面白そう。私もイタリアに修行に行きたい」と思いました。そして、その気持ちを担任の先生に相談したところ、「夢物語で無理」の一言で否定されてしまいました。落ち込んでいたちょうどその時、日本酒について研究している先生がいることを知り、その先生とともに日本酒を研究することになりました。そして、ワインと日本酒は同じ醸造物として重なる部分もあり、「日本酒も面白いかも!」という気持ちが徐々に芽生え、日本酒の研究を進めることになりました。

―多くの人が目を向けないところに目を向ける軸は変わらない
しかし、高校卒業に近づくにつれ、「日本酒の研究を行ってどうしていきたいのか?」と考えるようになりました。そんな中、日光市の酒蔵見学に行った時に「栃木県の酒蔵の数が衰退している」という話を聞き、日本全国でもこのことが課題にあると考え、“日本酒の流通を繁栄させることで酒蔵の衰退を助けたい”という明確な目標が生まれました。発展途上国という分野からは離れてしまいましたが、酒蔵で見つけた課題に取り組むことは、「多くの人が目を向けないところに目を向ける」という軸があったからこそなのかもしれません。

「日本酒」の研究にて

米処「秋田県」へ

現在、大学で農業やビジネスについて幅広く学びながら、「日本酒の流通について」という自主研究を行っています。そして「日本酒の流通」について理解と知識を深めるため、2つの活動をしています。1つ目は、『まちプラあきた中央PR大使』に所属し、秋田市にて若者の視点を入れた回覧板の制作と地域のPRをする活動です。日本酒の流通を繫栄させることは地域活性化と密接に関係します。2つ目は、道の駅でのアルバイトです。道の駅で活動することにより、農業の流通について「どんな人が作っているのだろう」「どんな人が買うのだろう」ということを一度に知ることができ、学びが得られます。消費者の生の声や農業の六次産業化が目に見えることも魅力のひとつです。

「まちプラあきた中央PR大使」について語る金子実生さん

「1人でいることが悪い」
概念を変えたい

―1人でいることへの考えの変化
学校生活を通し、大人数に紛れて人に合わせることが当たり前だという風潮を強く感じました。私はその風潮が苦手で、周りの人に馴染めずに過ごしてきました。大学で1人の時間を過ごしていた日には

「いつも1人でかわいそう」「見ていて悲しくなる」「声をかけにくい」

という言葉をかけられたこともあります。
高校までの私なら批判されることに落ち込み、自分自身を「変わっている子」と感じてしまっていたと思います。しかし、今は個性を尊重する風潮になりつつあり、「1人でいることも個性」として捉えられるようになりました。だからこそ、先程の言葉には「私にとって1人の時間は考える時間になり、その時間は自分を成長させる」と伝えます。

「伝える」というちっぽけことかもしれませんが、「1人でいることが悪い」という考えを少しでも変えたいです。

―自分の表現のカタチは「写真」
小学校1年生で夏休みの工作を作った時、「友達の作品を真似した」と似てもいないのに言われてしまったことがありました。この出来事をきっかけに、自分のやりたいこと、やったことが認められないと感じてしまい、小学生の時は気持ちの表現ができなくなってしまったのです。中学生の時は部活が忙しく、表現することにあまり悩みを感じることなく過ごしていました。そして高校生になって写真と出会い、「どんなことを表現しても文句を言われない」ということに幸せを感じました。私はネガティブな感情を写真に表現することが多いのですが、ストレスの捌け口にもなり、趣味として5年間続けています。

カメラを構える金子実生さん

「一日一笑」を毎日

私の母は、「見えない差別」を受けてきて差別されてしまうことを割り切り、自分の意見を持ちアイデンティティを持っています。また、父はどんなことがあっても愚痴を言わず、笑顔で貫き通します。そんな両親から、笑顔が少ない小学生の時に

「何がなんでも笑っていなさい」「今を楽しまないと絶対に後悔する」

と言われました。悩んだ時はいつもその言葉に救われていて、そんな言葉をかけてくれた両親のことを心から尊敬しています。

両親の言葉と小学生の時好きだった「君に届け」の主人公が掲げていた「一日一善」を真似して、私は「一日一笑」と決めて、毎日心の底から笑うようにしています。実家にいるときは家族との会話で笑わせてもらっていましたが、一人暮らしになってからは「こうなったら幸せだろうな」と未来を思い描きワクワクすることで、「一日一笑」しています。これからも「一日一笑」を忘れずに、「見えないところに目を向けて」活動し続けます。

コワーキングスペースaret[アレット]で語る金子実生さん