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学生の声

歌うことと、報道すること。伝えるプロフェッショナルになる。ー慶應義塾大学/奥村湧太さん

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プロフィール

奥村湧太(おくむらゆうた)
東京都出身
慶應義塾大学法学部法律学科4年生

栃木県で古民家宿泊施設の運営、廃校再生事業のインターンシップに約1年間関わる。「根拠に基づいて判断していく」という学びに興味や疑問を抱き、大学では「犯罪を未然に防ぐためにはどうしたら良いのか?」という視点から法律を学ぶ。現在は塾講師やキャンプ場でのアルバイトに加え、パートリーダーとして大学の合唱団を率いている。「伝えること」に大きな価値を感じており、就職予定の報道機関で成長し、伝えるプロフェッショナルになることが将来の目標。

根拠を大切にしながらも、当たり前を疑うことで見えてくるもの

いま大学のゼミで学んでいるのは、「刑事政策」という法律の分野です。“どんな制度があったら加害者が更生・社会復帰できるのか”を考える学問です。罪を犯して検挙される人には、「再犯者」が多く含まれます。一度刑務所に入った者が出所後に何も支援を受けられず帰る場所もないため、再び罪を犯し刑務所に戻るしかないという悪循環になっています。

「その再犯率をどのように下げていくことが望ましいのか?」「刑罰以外にどのような福祉的支援・犯罪抑止のための施策を行っていくことが良いのか?」ということを日々学んでいます。

法律を学びたいと思ったきっかけは、“根拠に基づいて現象を考察する”物理と化学が高校時代に好きだったことです。「あの自然法則があるから、この現象はこう説明できる」。それと一緒で、「こういった法律の条文や蓄積されてきた解釈があるから、この事例はこう判定できる」。そのプロセスが似ていて、親近感が持てました。

一方で、「それって変だな」と思うこともあって。

確かに、法律は歴史的に形作られてきたものだけれど、もともとは人間が作ったものです。「本当にそこに欠陥はないのか?」と言う視点も必要なのに、初学者だった時に学んだのは、条文の解釈だけでした。

そこで、「いまどんな犯罪が多いのか?」「どんなパターンで犯罪が起こっているのか?」と社会的背景を踏まえて議論できる「刑事政策」という分野に興味を持ちました。法律の条文をただ単に解釈していくよりも、実務・立法の立場に立てるこの分野は、法学部唯一の「犯罪を減らす」ことができる学問です。起こってしまったことに対してどのような刑罰を与えるかは法律の条文で考えることができるけれど、「どのように犯罪を減らしていくか」ということは刑事政策でしか学ぶことができません。

刑事政策を学んでいると、動いている社会の最前線に対して敏感になります。保釈中の人にGPSをつけるか否か、少年法の改正に関してなど、日々の報道に対して根拠をもって意見が言えます。

例えば、「性犯罪者にはGPSつけたほうがいいに決まっている」と感覚的にはみんな思う。「でもそれって本当に加害者が性犯罪を繰り返さないために重要なことなの?」という視点は、勉強していないと分からない。日々の学びがあるからこそ、報道されていることや最前線にあるものに疑問を持つことができます

歌は自分自身を支えてくれるものであり、客席との対話でもある

年に数回の演奏会に向けて練習をする、合唱サークルでパートリーダーとして活動しています。パートの中で不安を感じているメンバーをサポートしたり、全体の練習の方向性を決めたりしています。合唱をやっているのは、とにかく歌うことが好きだから。自分は人よりずば抜けてできるものがあるわけではなくて、誰にでも誇れるというものがないなと感じていて。そんな中で歌は全力を注げるもので、自分にとっての大きな支えでもあります。

舞台に立つときは、その時だけ“魅せる人になる”ことを大切にしています。普段は人前に立つことは苦手で緊張するけれど、役者になって自分を演じることで、「観客にこう見られているからこういう風に動こう」と冷静に頭が働きます。

「無理だ」とネガティブな感情に襲われ足が震えるときもあります。でも舞台に立ったら、もう引き返せない。ここで歌うしかないという覚悟ができれば、歌うことは快感になります。舞台上で一番意識していることは“客席との対話”です。歌を届けることは一方的な行為ではなく、相手に訴えかけて心を動かすこと。それは返ってくるものがないと成り立ちません。「こんな風に歌ったらこう感じるだろう」と、投げかけたものがどんな反応として返ってくるのかを想像しながら歌っています。

歌うことの意味は、自分のためであり、他人にリアルを伝えていくため

後輩などに「歌をやっててよかった」と言われたときに嬉しい気持ちになることはもちろんのこと、自分自身が歌を歌っているときがやっぱりとても幸せです。歌を歌い自分自身と対話することで、心が安らぎます。加えて、歌うことに社会的な意味も感じています。たとえば、去年、授業で第二次世界大戦時に日本から満州に渡り、帰国できなくなった人の人生を題材にしたオペラに取り組んでから、芸術は様々なことを伝える力を持っているな、と。本で読む、テレビで見るなどといった方法の一つに、芸術を通して学ぶというのがあると思います。「戦争を知るべきだ」「社会について学ばなきゃいけない」と本腰を入れている人でなくても、入り口やきっかけとしてアクセスできる。歌は、戦争の悲惨さなど、世の中のリアルを丁寧に伝える重要な媒体のひとつです。

コロナ禍での合唱。パートリーダーとして思うこと

いま頑張っていることは、合唱です。コロナ禍で合唱活動を再開していくために、日々思案を重ねています。特に思うのが、中学高校の合唱部や社会人の団体に比べて大学の合唱は活動再開が遅れているということです。中学高校は先生がいて、社会人はそれなりの社会的責任がある人が集まっているため方針がたてやすい。一方で、運営から音楽作りまで多くの部分を学生主体で動かしている大学合唱団は価値観の軸を定めることが難しく、どうしても消極的な姿勢になりやすい傾向にあると感じます。今は週に一度練習を行えていますが、演奏会はほとんど中止になりました。学生生活最後の一年に向けてあたためてきた思いがあったからこそ、残念な気持ちが大きいです。年末に行われる引退の演奏会は、今のところ実施する予定で、歌うモチベーションになっています。もし無事に終えることができたら、「こんな状況でもやっていて良かった」と思えるのではないでしょうか。

「おかしい」と思ったことに対して声を上げる責任がある

最近は、ネット社会で生きる面白さや難しさのことをよく考えます。その中で、自分の考えは言ったほうがいいなと前よりも思うようになりました。政治に関することなどは黙っていれば誰にも文句を言われることはないし、穏便に済ませることだってできる。でも、それでは困りごとを抱えている人はもっと追い詰められてしまうと思います。自分は恵まれた環境にいて、普段から困ることはそれほどないけれど、だからこそ他の人のことを考える余裕があり、他の人の気持ちを考えることについて責任があると思っています。おかしいと思ったことに関しては自分から声を上げなければいけない。日々ニュースを見ていてそう思います。

ネット社会の良いと思うことは、個人の発信が力を持つようになったことです。様々な人が独自の意見を言えて、それに刺激を受ける人がいる。多様な視点が生まれてきて、人の考えを豊かにする。それはとても良いことだと思います。一方で、社会の分断を招いているとも感じます。自分と似た主張ばかり拾い集め、偏った意見だけを目にするようになり、その意見に凝り固まっていく。

従来、情報の仲介をしていたメディアに代わって個人が情報の送り手や受け手になることで、意見の多様性は増すものの、自分と立場が違う人に対して理解する気持ちを持ちにくくなってしまう傾向があると感じます。対話や交流がなくなってしまうことで互いに分かり合うことを諦めてしまう。また、何か主張をしたことに多くの人が共感してシェアしたら、それは正しいか正しくないかは別にして、大きな影響力を持つという「言ったもの勝ち」の弊害も同時に感じています。

人の声や記憶は決して変わらないものだからこそ、伝えていく意味がある

東京大空襲で被害の大きかった地域に住んでいて、小学生の頃から体験者の話を聞く機会が多かったため、「空襲や戦争は悲惨なもので、絶対にやってはならない」と強く思っています。一人ひとりの声からは、授業で史実を学ぶだけでは分からない悲惨さが伝わると思います。歴史の教科書は、その時々の権力者の都合で良いように書き換えられることもあります。そうやって歴史は変わるものだけれど、一人ひとりの声は絶対に変わらないものです。

体験者の言葉は、ただの歴史ではなく鮮明な人の記憶です。揺るぎないその記憶を耳にしたときに、「絶対に繰り返してはだめだ」と理屈ではなく感じるのだと思います。変わらないものとして証言が大切なのに、戦後75年経って経験を伝える人が少なくなりました。人の声が残らなくなったときに、いくらでも書き換えられるものである歴史が残ってしまう怖さがあります。だからこそ、なんとしてでも声を伝えていかなければいけないと思っています。僕たちは経験者のリアルな声が聞ける最後の世代かもしれないので。

原発被災地訪問時

文章で、声で、写真で、映像で。伝えるプロフェッショナルになりたい

報道機関に入社予定なので、これからは仕事として世の中の神羅万象を伝えることになります。伝える手段は文章だけではなく、芸術や声、写真や映像など様々なものがあります。多様な人に届けるため、そして忘れられがちなことに目が向くようにするためにも、ひとつの方法にとらわれず、伝え方を模索していきたいです。

特に、自分が素朴に感じた「なぜ?」を突き詰めて、分かったことを発信したいです。多くの人が疑問に思っているであろうことを代表して探究し、将来的にはそれを自分という媒体を通じて幅広く届けられるようになるのが目標です。

世の中の「変えたい」に本気で取り組める。そんな社会で生きていたい

将来働くときに求めるのは、その仕事が、社会問題や環境問題に対して貢献度が高いことです。SDGsや、持続可能な社会と言われる昨今では、どの会社も目標を声高に掲げますが、正直申し訳程度に行っているだけではないかと感じる会社もあります。

そうではなく、本気で社会を良くするために取り組んでいる会社で働きたいし、自分もそこに関わっていたいと思います。これからは、収益性の部分と社会貢献の要素が相反しないビジネスモデルが確立されていってほしいです。「営業部」「CSR部」のように、会社の事業の中でふたつの要素は完全に分離されがちですが、社会貢献することが直接的に収益を生み出せるような構造ができたらいいなと思います。収益があるからこそ持続可能になる、という側面もあると考えています。

加えて、「忘れられがちなことを伝える」ことに全力で取り組んでいる人がたくさんいるいまの社会が良いなと感じます。戦争や災害の被災者や、事件の被害者など、様々な人が今日も教訓を未来に伝えるべく活動しています。そういった人々がいることは素晴らしいことで、尊敬しています。

また、「みんなが笑顔でいられる社会」で生きていたいです。最近では、国が定めた「黒い雨」の指定地域外で被爆した方を被爆者と認める判決が出ました。どれだけ時間がかかっても、「今の場所にいてよかった」「生きていてよかった」とみんなが思えるようになってほしいです。バリアフリーやユニバーサルデザインなど、様々な人が生活しやすいようにモノがカスタマイズされてきました。障害を抱える人、高齢者、こどもたち、すべての人がそれぞれの価値観や状況に応じた「幸せ」を享受して生きられるような世の中を望むし、そんな世の中を作ることに自分も貢献したいです。