〈求人終了〉一過性のまちづくりではなく、続いていく暮らしのために。旅人と地域をつなぐ拠点を運営するプロジェクトマネージャー募集!
目次
JR東京駅から新幹線に乗り、約60分(電車で97分)。
澄み渡った広い空に田園風景など、のどかな自然が広がる栃木県下野市の東のはずれに、『吉田村VILLAGE』という旅人と地域をつなぐ拠点があります。
『吉田村VILLAGE』とは、地場農産物を堪能できるイタリアンレストランやベーカリー、質の高い農業体験アクティビティ、毎年5000人以上の来場者が集まる収穫祭『吉田村まつり』、非日常を味わうグランピングや宿泊施設などが用意された『吉田村アグリツーリズム』の交流拠点。ここでは、自然と人の営みとが調和した多くの体験と出会いを楽しむことができます。
現在、そんな『吉田村VILLAGE』の運営に携わってくれるプロジェクトマネージャー(宿泊部門)を募集しているそう(2021年7月オープン予定)。
この地に軸足を置き、自らの手で村をつくりあげるべく立ち上がったのは、一体どんな人たちなのでしょうか。
そこで今回、下野市で活躍する一級建築士・ローカルプロデューサー山口貴明(やまぐちたかあき)さん、毎年県内外の多くの人で賑わう『吉田村まつり』をつくり上げた伊澤敦彦(いざわあつひこ)さんにお話を伺ってきました!(とってもクリエイティブなお二人のお話が聞けるとのことで、取材前からワクワクが止まりません…!)
今回お話を伺ったのは…
下野市で活躍する一級建築士・ローカルプロデューサー 山口貴明(やまぐちたかあき)さん
吉田村アグリツーリズム推進協議会 会長
一般社団法人シモツケクリエイティブ 代表理事
一級建築事務所アンプワークス 代表
一般社団法人Bridge 理事
『吉田村まつり』を創出し下野市を盛り上げる 伊澤敦彦(いざわあつひこ)さん
有限会社伊澤いちご園 代表取締役
一般社団法人シモツケクリエイティブ 理事
イタリアンカフェ・バール『L’ape Ronza(ラーペロンツァ)』オーナー
なにもなくなった村に残る大谷石蔵に憧れ、かつての活気ある村の再興を決意
ー大谷石蔵を中心に賑わいを取り戻す『吉田村プロジェクト』を始めたきっかけについて教えて下さい
ことの発端は、10年前にUターンした時に目にした吉田地区(旧吉田村)1の風景です。実家がいちご農園で、新規事業としてジェラート屋さんを始めることになり、ジェラート工房をどこにつくろうかと考えていた時に吉田地区に目を向けると、幼い頃に記憶していた風景と全く違っていたんです。ものすごく荒廃していて、「何も無くなっている!」と衝撃を受けました。
でもその時、かつて建物の影に隠れて見えていなかった異国情緒溢れる大谷石蔵が顕になっていて、純粋に「かっこいい」と思いました。それを見て「ここに村をつくりたい」と思ったことが一番最初のきっかけです。
吉田地区は、それまで住んでいた利便性の高い東京の暮らしとは違い、市内の人たちも「なにもない」と口を揃えて言うくらい本当になにもない地域です。でも、かつてはこの場所が中心地で、村民がここを拠点に生活を営んでいました。時代の流れとともに中心地がどんどんシフトしてしまいましたが、その代わり、農業が盛んな吉田地区は市街化調整区域2となっていて容易な開発行為が難しく、豊かな自然や歴史ある大谷石蔵がずっと残っていたんです。
その原風景が魅力的に目に飛び込んできて、「またこの村を再興させたい!」という想いが芽生え、地域の活性化を図ろうと有志が集い、旧吉田村の賑わいを取り戻す『吉田村プロジェクト』が始動しました。
ー荒廃した土地に顕になっていた『大谷石蔵』に目をつけられたのですね。村を再興させるために、まずどんなことからスタートしたのでしょうか
吉田地区はマーケットゼロ地帯で、何か事業をしようという人はまずいないというのが当時の現状でした。
でも僕はここで店をやることに決め、2014年に農協の跡地を買い取り、イタリアンのお店とジェラート工房を併設した建物を造りました。まずは人がこの場所に来るという事例をつくり、行政も巻き込みながら石蔵を利活用できないかと考えたんです。
この構想自体は2012年からずっと考えてきて、2014年にお店をオープンし、同年に『吉田村まつり』をスタートさせ、2018年に補助金を使って大谷石蔵を利活用した『吉田村プロジェクト』を始動させました。現在は、地元の農産物を使用したイタリアンレストランや非日常感が味わえるグランピング、質の高い農業体験などのアクティビティを用意した『吉田村アグリツーリズム』の拠点『吉田村VILLAGE』のオープンに向けて準備を進めています(2021年7月オープン予定)。
音楽にフィーチャーした、
大人も楽しめる新しいお祭りのカタチ
ー2014年度から毎年続いている『吉田村まつり』とはどのようなお祭りなのでしょうか
「あったらいいな」を集約し、かつ、この地域の農産物をPRするための県をあげての田舎フェスティバルです。コンセプトは、農と食と音楽。音楽は、その場の空気感や牧歌的イメージを創出する上でとても大切です。
そのため、一日中アイリッシュ・バンドが演奏していて、お酒が沢山あり、大人が楽しめるイベントです。また、子どもにとっても生の音楽を聴くという原体験ができます。見たことのない楽器から溢れるメロディを肌で感じ、大人が楽しんでいる姿を目の当たりにし、年齢関係なくみんなで輪になって踊る。音を楽しむと書いて『音楽』なので、性別や年齢を超えて誰もがハッピーになれる、そんなお祭りです。
運営メンバーも近隣の農家さんや地元の方々などで、地域の人たちと一緒にお祭りをつくり上げています。お祭り自体は『石蔵』という景観自体が演出された場所で開催しているため、会場の装飾は畑で採れた玉ねぎや藁でつくったかかし、パレットでみんなで描いた文字やデザインなど。“いまあるものを用いて空間をつくる”ということにもこだわっています。
大切なことは大義名分。
ぶれないベースは、自分の理想の暮らしをつくること
ーどうしてお二人は地元で活動しようと思ったのでしょうか
僕のやっていることは建築やデザイン、場づくりなどクリエイティブ領域の『創る仕事』で、創るためには環境のことをよく知っていなければいけません。そう考えると、地元にいた45年間の経験やつながりの蓄積があることはとても大きなメリットで、何かを生み出すためには適している環境だなと感じています。人の幸せは、自分がやりたいことをやっていけるという状態にあると思います。そして僕の幸せとは、なにもない田舎をフィールドに自分のやりたいを叶えることなんです。
地元にこだわることには理由があります。それは、幼い頃に見た地元の夏祭りの大人神輿です。夕暮れ時になると、田舎道が通行止めになり大人がお酒を飲みながら神輿を担ぐのですが、普段は寡黙な農家のおじさんたちがその時だけはとても楽しそうに笑っていたんです。その光景を見て、「大人になったら絶対にやりたい」という想いが芽生え、18歳で大人神輿に参加しました。
そしていざ参加してみると、ずっと憧れていた地域行事なのに、若者が全くいなくて。神輿を稼ぐ人を集めようと色々な人に声をかけていたのですが、「地域の伝統を守るべきだ」とみんな思ってはいてもわざわざそこに労力を掛けてくれないし、そもそも神輿は癖が強いのでみんなが参加しやすいわけではなくて。
そこで、素直に「夏を楽しむお祭りをやろうよ」と声をかけたところ、すごく人が集まったんです。この時、「賑わいをつくるためにはまちづくりをしようと思ってやるんじゃなくて、”暮らし”という自分ごとに結び付けないとだめなんだ」ということに気がつきました。地域で暮らす第三者を巻き込む上で、まちづくりだと単に言っても上手くいきません。そうではなく、「ここに住み続けるためにどうしたらいいのか?」を深めていく。その結果、この吉田村プロジェクトに辿り着きました。
大義名分ですよ、本当に。「昔はこうだったよね」とみんな思ってはいるけれど動かなかったことを「やるぞ!」と声を上げる。そうすると、「よく言ってくれた!ところでどうやってやる?」と風向きが変わります。始めはみんな傍観しているのですが、実は声をかけてもらうのを待っているんです。とりあえず、今自分にできることを精一杯やってみる。そうすると、手を貸してくれる人が自然と増えてきますね。
自分の暮らしを理想化していきたいと思って動いていると、それは誰かの暮らしの理想化にも必ずつながってきます。そこで初めて町として形づくられてくるのかなと思いますね。それぞれの理想の暮らしの集合体が、集落だったり町だったりするんです。
自分の課題は、地域の課題ですね。みんなも絶対そう思ってるでしょ、と。
そうそう。例えば、この地域にいちご農園と玉ねぎ農園があるとします。いちごと玉ねぎは全く別物だと思うけれど、どこかで絶対に重なる部分があるんです。そうなると、よく言われる「課題や目的を共有しましょう」という方向になってきます。名ばかりの地域活性やまちづくりを語っても、誰も興味を持ちません。そうではなく、想いをしっかりと口にして小さな一歩を踏み出していけば、今やるべきことがどんどん見えてきます。
そこで忘れちゃいけないなと常々思っていることは、自分のやりたいことをやっているだけだということ。それが自分の家の中だけで完結するんだったら問題ない。でも家から一歩出た途端、そこには第三者が必ずいるので、コミュニケーションまでデザインしないといけなくなります。根本は社会のためというよりも、社会を巻き込まないと自分の理想が叶えられないから。そうすると、自ずとパブリックマインドを持たないといけないよね、と。そんな順番ですね。
僕はなぜ地元で活動しているのかと言うと、自分たちが住む場所を自分たちでつくっていくためです。吉田地区には長い歴史があり、先祖代々土地や家を守り続けている地域です。最近やっとローカルにも目が向けられてきましたが、市はエリアを集約したコンパクトシティ化を進めようとしています。
でも、故郷を離れて生活を再構築するということは誰もができることではありません。そこで、「自分たちが暮らしていくための拠点をつくらないといけない」と思ったんです。吉田地区は市街化調整区域3のため、法的な部分の大変さに加え、追随して何かをやろうという人があまりいない地域なので難しさはありますが、「やれないことはない」とひたむきに努力を続けた結果、今に至ります。
おもてなしの場ではなく、
フラットな関係性を育むコミュニケーションの場
ー吉田村プロジェクトを行う上で、大切にしていることはありますか?
ただ観光として人を集めるのではなく、ここに集まった人がみなフラットな関係性を育めるようになることです。そのためには、お酒を飲むことですかね(笑)。すべて吉田村まつりのコンセプトに紐付いているというか、それが僕らの行動指針です。旅人と村人が交流する場所ではおもてなしなどは一切考えず、基本的にみんな対等です。
だから、農業体験といっても単に体験を提供するのではなく、汗水垂らして働く農家さんの本気の空気感を味わって、生産者の声を聞いて、共に作業をする。ストーリーを知ることによって、野菜や農作物の価値や有り難みは変わります。そんな風に対等な関係性を育み、「ただいま」「おかえり」が生まれるみんなの実家のような場所としてコミュニケーションをつくっていけたらいいなと考えています。
関係性が見直されると純粋な経済がこの地域でも生まれると思いますね。便利だとかそういった理由で市街地に人は集まるけれど、もっと原点に立ち返ると、地域じゃないとできないことは山ほどあると思います。先進国は今後人が減っていくので、行政サービスなどを集約できるという点でも合理的なコンパクトシティ化が進み、手をつけられない郊外地域はどんどん増えていきます。
そして県も国もコンパクトシティ化を推進し、「栃木県にいる人はみんな宇都宮に住んでね」と言われたら、住めるでしょうか。そうなった時、みんな当事者になってきますよね。そして「日本にいる人はみんな東京に住んでね」と言われた時、選択肢がなくなってしまう未来に「本当の幸せってあるのかな」と思わず考えてしまうはずです。そうならないように、今のうちから自分たちの暮らしや経済をつくっていく必要があると思っています。住みたい地域に経済圏をつくることで、狭い空間に集約して暮らす必要もなくなるし、密度が少ない中でもお金を回していける仕組みができるはずです。
一過性のお金が得られればいいというわけではなく、僕たちが活動するのは生活や暮らしのため。「じゃあどういう風にこの地域で今後お金を生んでいこうか」と考えなければいけないわけなので、ここにこういうものをつくろうよなど、町のデザインや流れをつくるということに繋がります。「これをやりたい」という一つの軸があり、そこから派生して出てくることをやっていくような感じですね。
ー暮らしをつくるお二人の価値観や魅力がとても伝わってきました。どんな人と共に吉田村を発展させていきたいですか?
優しくて気遣いができる人です!(笑)
2021年7月にオープン予定の拠点施設のプロジェクトマネージャーを募集していますが、僕たちはホテルマンや観光アドバイザーがほしいわけではありません。そうではなく、首都圏から近いと言えども不慣れな場所を訪ねてくれた客人(旅人)に対してサポートでき、寄り添って一緒に楽しめる人。
例えば、お客さんが来る時間になったら、店の前に出て駐車場を案内するなど、そういう細かな気配りができるといいなと思います。業務内容は、宿泊管理、吉田村アグリツーリズム全体の企画、物販に関するバイヤー的な部分など多岐にわたるので、「何でもやってみたい」という意欲溢れる人だとなお嬉しいです。でも一番は、吉田村での暮らしを楽しみたいと思える人ですね。
“ここだからできる”ではなく、
“どこだってできる”ロールモデルに
ー今後について教えて下さい
地域の人たちが温めてきた構想を、下野市全域に取り組むシモツケクリエイティブが運営母体となりしっかりと形づくることによって、「どんな場所だって可能性があるんだよ」ということを伝えていきたいです。全国の地域で、「あの場所でできるんだからここでもきっとできるよね」という風になってくれたら嬉しいです。その成功事例を残し、勇気づけとなるモデルとして吉田村を確立していきたいです。
一過性だった吉田村まつりが常態化するようなイメージで、県内外問わず多くの人が集う村をつくりたいです。吉田村まつりの頻度も増やし、村を盛り上げていけたらいいなと思っています。
「やっぱり、この場所いいよね」
お二人の口から漏れる言葉はどこまでもまっすぐで、本当にこの地域が好きなのだという確かな温度が伝わってきました。
自分たちが好きな場所で、好きな暮らしをつくる。
言葉にするだけではなく、実行するためのスキルを日々積み重ね磨いているお二人は、心から輝いていました。
そして、吉田村というのどかな田舎に根付き、柔らかな土に蒔いた種を新たな風がそっと撫でるような、先進的な価値観が生み出す大きな可能性がこの場所にはある、と確信しました。
もしこの記事を読んで共感した方は、この地で新しい暮らしのベースをつくってみませんか?
『吉田村VILLAGE』に遊びに行き、実際に目で、耳で、肌で体験するということも良いかもしれません。
きっと、いま見えている暮らしとはまた違う、新たな景色に出会えるはずです。
募集要項
関東平野ど真ん中の下野市(しもつけ)の東部、広大な田畑が広がる吉田地区(通称:吉田村)。農と食と音楽のお祭り『吉田村まつり』で県内外でも大注目のエリアです。その吉田村にこの夏、農と食、さらに農泊(宿泊)の機能を兼ね備えた複合施設『吉田村VILLAGE』がOPEN!今回、宿泊部門を切り盛りするマネージャー候補を大募集!部屋数は2部屋+グランピングテント1張の計3部屋分。 立ち上げから加わり、オペレーションづくりや企画までを一手に担っていく重要なポジションです。立ち上げ後もマネージャーとして長く、地域と施設を盛り上げていきましょう。 ホテル業界、観光業界、まちづくり業界の方々必見!今話題の吉田村であなたの能力を存分に発揮し、素敵な村を一緒につくっていきましょう!
Let’s enjoy local life!!
「栃木を盛り上げたい」
「宿泊施設の立ち上げに携わってみたい」
「宿泊業や観光業でのキャリアを伸ばしたい」
「仲間と一緒に新しいものをつくり上げたい」
そんな方からのご応募をお待ちしております。
職種 | 農泊ホテルマネージャー |
雇用形態 | 正社員 |
給与・月給 | 22万~36万円(※想定年収:264万円~432万円) ※上記額にはみなし残業代(15時間分21,520円~40時間分78,950円)を含みます。また、超過分は全額支給します。 ※試用期間3ヶ月で、その間の給与は90%支給となります。その他待遇に変更はありません。 |
業務内容 | 農泊拠点複合施設『吉田村VILLAGE』にて、立ち上げからオープン準備、その後の運営までお任せします。※2021年7月オープン予定 <立ち上げ期> ・マーケティング全般 ・家具設備、装飾の選定および購入 ・業務フローやマニュアルの作成 ・業務システムの導入や設定 ・建物や設備の管理 ・各OTAの導入設定 ・リネン業者等の選定や交渉 ・アルバイトスタッフの採用/研修 ・オープニングプロモーションの企画および実行 <オープン後> ・フロントなどの運営業務 ・売上人件費等の予実管理 ・レベニューマネジメント ・オペレーション管理全般 ・発注管理 ・スタッフの採用/育成 ・シフト管理 ・販売企画、プロモーション ・その他施設運営に付随する業務 |
応募資格・条件 | ・学歴不問 / 経験者のみ募集 ・ホステルやゲストハウス、ホテルなどの宿泊施設でのマネージャー/支配人経験 ・宿泊業での2年以上の業務経験 ・普通自動車免許 ・ビジネスレベルの英語スキル |
勤務地 | 『吉田村VILLAGE』 住所:栃木県下野市本吉田784(最寄駅:JR宇都宮線 自治医大駅) |
勤務時間 | 6:30~21:00(実働8時間)でのシフト勤務 ※シフト例:6:30~16:00(休憩1.5h)、11:30~21:00(休憩1.5h) |
休日・休暇 | 月6日(シフト制) |
その他 | リフレッシュ休暇、有給、慶弔待遇 |
福利厚生 | 雇用保険、労災保険、厚生年金、健康保険、交通費支給、寮・社宅・住宅手当、制服貸与、U・Iターン支援 |
※募集は終了いたしました
ご応募・お問い合わせはこちら
⇒info@yoshidamura.com
※興味を持っていただけた方は、ぜひお気軽にご連絡ください。後日、折り返しご連絡いたします。一度オフラインまたはオンラインにてお話をし、採用について決定していきます。