空き家を再生し、移住者の受け皿をつくる。消滅可能性自治体と呼ばれる小さな町で、 “人と人をつなぐ大家”として生きていく
矢板市から続く林道をうねりながら進んでいくと、ぱっと拓けたどこまでも続く広い空と、田園風景がうつくしい小さな町が顔を覗かせます。
栃木県北部に位置する“塩谷町(しおやまち)”です。
高原山の麓にある緑豊かな塩谷町には、名水百選に選ばれた『尚仁沢湧水』が流れており、肥沃な農業地帯としても有名です。

きれいな水と自然に恵まれている一方、栃木県内で最も人口が少ない町でもあり、平成29年度以降、町全域が過疎地域として指定を受けています。
そんな少子高齢化が深刻化する塩谷町で、町に点在する空き家を改修し、移住・定住者向けに住まいとして提供する“大家”としての活動を始めた一人の女性と出会いました。
快活な話し方と朗らかな笑顔が印象的な彼女は、小松原 啓加(こまつばら ひろか)さん。2023年4月から塩谷町で地域おこし協力隊として活動する傍ら、2025年から大家としての活動を始動しました。
なぜ、過疎地域である塩谷町で大家業を始めることにしたのでしょうか。小松原さんが行う空き家を利活用した大家としての活動や、これまでの歩みについてお聞きしました。

塩谷町には住まいがない?機会損失を防ぐため、移住者の受け皿をつくる大家に
「塩谷町で住まいを提供しよう」と思ったきっかけは、地域おこし協力隊として塩谷町で活動するなかで、ふと耳にしたある言葉から。
去年の夏ごろ、役場の職員さんが来年度の地域おこし協力隊の募集について話していたんです。それで「採用予定人数はどのくらいですか?」と聞いたら、「二人採りたいけど一人かな」と言われて。地域おこし協力隊になる=地域に移住するということなので、できるなら多くの人に来てほしいですよね。それなのにどうしてだろう?と思っていたら、どうやら住まいがないとのことで。正直、「そこ!?」と思っちゃって。
町としては移住者が増えたら嬉しいのに、そもそも住む家がないと…!
そうなんです。地域おこし協力隊の採用枠を減らす理由が「予算がないから」などではなく、「そもそも人が住める家がないから」ということにびっくりして。そこに勿体なさを感じると同時に、塩谷町の住まいの少なさに改めて目を向けるきっかけにもなりましたね。

「住宅の不足が地域おこし協力隊の採用数や移住者支援にも影響する」と危機感をおぼえた小松原さんは、移住・定住者向けの住まいを用意することを考え始めます。
そんな折に、県内の大家が一堂に会する場に偶然誘われ参加。そこで不動産賃貸についての理解を深め、手法を学ぶなかで、購入した空き家を入居者に貸しているという大家さんに出会い、“空き家を買って貸す”大家モデルを塩谷町で展開しようと心に決めます。
ところが…空き家を購入・利活用し貸し出すと決めたはいいものの、さらなる困難が待ち受けていました。
まず、どんな空き家でも購入できるというわけではなく、相続されていてかつ所有者さんの許可が降りないと空き家を買うことはできません。塩谷町には相続未了・所有者不明の空き家がたくさんあり、空き家バンクにも全く情報が載っていなくて…
相続された空き家を購入するために、不動産会社に出向いて情報提供を求めたり、空き家に置き手紙をしたり、所有者を調べてその住所に手紙を送ったり…とさまざまな手法でアプローチしました。そんな中、不動産会社経由で二階建ての空き家をご紹介いただけることになって。空き家に詳しい方と一緒に内見をし、購入することに決めました!

物件ごとに特性が異なる空き家で、個々のニーズに沿った“自由な家づくり”を実現
空き家を購入した後は、数ヶ月かけて残置物を片付け、襖や壁紙の張り替え、天井塗装などを行い、トイレと洗面台をきれいに新設。2025年の夏に、県内からの移住を希望するご夫婦の入居が決まりました。

こちらの物件は浴室がリフォーム済みで、DIY可、畑付き、倉庫付き、駐車場5台付き、敷金礼金ゼロ、更新料無しなどの強みがあり、想定よりも多くの内見希望がありました。とくに、入居者のDIYを広く許容することで理想的な家づくりが可能です。「自分で好きな住まいを自由につくりたい」という方のニーズにぴったりだと感じましたね。
空き家ごとに特性が異なると思うので、物件の強みを活かし、「自宅で農業がしたい」「のびのびと子育てしたい」「自然の中でペットと暮らしたい」「広い庭がほしい」など、個々のニーズに沿った自由度の高い家づくりが実現できそう…!
賃貸はたくさんの集客を前提としないので、“世界中でたった1組の入居者とマッチングできたらいい”んです。これからもニッチ需要を想定し、物件特性に刺さる層に訴求していきたいと思っています!
「人とつながりながら生きていたい」という想いの芽生え、そして塩谷町との出会い
話を聞いているうちに、塩谷町に愛着を持ち、塩谷町を拠点に活動する小松原さんのこれまでの歩みについてもっと知りたいと思いました。
栃木県小山市で生まれ育った小松原さん。高校生まで栃木県で過ごし、卒業後は都内の大学に進学。大学では国際開発について学び、卒業後、かねてより興味のあった有機農業を海外の学生とともに英語で学べる環境に惹かれ、那須塩原市にある『アジア学院 アジア農村指導者養成専門学校』に入学しました。
寮生活でさまざまな人との共同生活を通して、「人とつながりながら生きていたい」と強く思うようになりました。中でも、人に影響を受けたこと、助けられたことが印象に残っていて。元々英語が得意な方ではなく、寮生活を送る上でトラブルもあって…。
そんな中で支えてくれた人がいて、なんでも話せる生涯の友だちもできました。だからこそ「人を大切にしたい」と思えたし、「一人では生きていけない」ということにも気づけました。

元々は海外を飛び回る仕事などに興味があったのですが、『アジア学院』での地域密着志向の活動や学びを通して「地域に根付いて一人ひとりとじっくり向き合うっていいな」と意識も変わっていきましたね。
多様な人との出会いと地域密着型の学びにあふれた学生時代を過ごし、卒業の時期に。「学院で得たつながりを大切にしたい」と県北エリアで仕事を探していたところ、ふと『もしも地域で暮らす人・想いを発信し繋げるライターが塩谷町にいたら』というコピーが掲げられた塩谷町地域おこし協力隊の募集が目に留まります。
そして人に特化したインタビューライターという業務内容が、「人とつながりながら生きていたい」という想いと合致し、2023年4月に塩谷町の地域おこし協力隊に着任。地域おこし協力隊の募集を知るまでは、塩谷町に訪れたことはありませんでした。

移住・定住支援サイト『塩谷ぴーす』や広報誌で、町の人の仕事や想いを紹介するライター業務を通して、ピアノの先生や駄菓子屋さん、酒蔵の蔵人さんや農家さん、おにぎり屋さんや養蜂家さんなど、さまざまな職種の方とお会いしました。


馴染みのない仕事の実態を知れて面白いことはもちろん、とにかく塩谷町にはあたたかく素敵な人であふれていて。とくに私のような20代の若者は少ないので、町中で会ったらたくさん話しかけてくれますし、採れた野菜をお裾分けしてくれることもあるんですよ。

宇都宮市や日光市、那須塩原市などの主要都市へのアクセスが良く、水や自然が豊かなので、緑や農業に近い暮らしをしたい方にとてもおすすめの町です。人もあたたかくのびのびと暮らせるので、子育て世代の方にもたくさん来ていただけたら嬉しいですね!
町で紡いできた多くの人脈が、“人と人をつなぐ”大家の仕事に活きている
そして大家としての活動も並行して行う現在、「地域おこし協力隊での活動が活きている」と感じることがあるそう。
ライター業務を通じて町の人とのつながりが広がり、町ゆく人と顔見知りになりました。そんな私が大家として活動することで、塩谷町に初めて来た人と町の人とを適切につなげることができ、不安の解消や課題の解決につなげられるのではないか…と考えています。
物件を貸し出すだけでなく、町での人脈を活かした“人と人をつなぐ大家”として活動していきたいです。

また、町民みんなでつくる夏祭りをテーマにした『塩谷町えかんべ祭』は、行政の後援を受けながら若者世代の有志が主体となり実現したイベントです。互いを知らない人同士をつなぎコミュニティを広げる活動が好きなので、これからも人と人をつなげてコミュニティを広げ、塩谷町の魅力をより多くの人に発信していきたいです!

一人ひとりが自分らしい暮らしを実現できる町に
2026年の春に地域おこし協力隊の任期を終える小松原さん。最後に、これからについて聞いてみました。
少子高齢化や住宅不足といった危機感と、「これまで町で受けた恩を返したい」という想いから、これから先も塩谷町で活動し続けたいです。そして大家業と空き家の再生を並行して行いたいと考えています。
現状たくさんの空き家がありますが、利活用に至っていないものがほとんどなので、所有者と移住希望者の双方に寄り添いながら“さまざまな形で活用できる物件”を増やしていきたいですね。

また、退任後も地域おこし協力隊のサポートのような、「地域のネットワークを活かした移住者支援としての“人つなぎ”を継続して行いたい」と言います。
地域おこし協力隊の同期が農家になったりイタリア料理店を始めたりと、自分の好きな暮らしを自由につくりあげているように、年齢問わず誰もが笑顔で暮らせてやりたいことを実現できる町にしたいです。町に根付いた起業だけでなく、自給自足や半農半X、自然の中での子育てなど、一人ひとりが自分らしい暮らしを実現できたら、とても素敵ですよね。

大好きな塩谷町で、楽しみながら自分らしい暮らしをつくる小松原さん。少子高齢化による消滅可能性自治体と呼ばれていることに危機感をおぼえつつも、屈託のない笑顔と明るい人柄が印象的でした。
そこに自然や人に恵まれたあたたかな塩谷町でのびのびと自分らしく生きている姿を見ているようで、話しているとこちらまで楽しい気持ちになり、自然と笑みがこぼれるほどでした。

点在する空き家を購入・改修し、住まいとして提供する。自由な暮らしの選択肢を増やすことで、自然と人が集まる場所になり、消滅可能性自治体と呼ばれる小さな町の存続につながるはず。
塩谷町では豊かな自然や人のあたたかさを活かしたイベントが多数開催されており、県内外からのファンも多く集う中、 “塩谷町で暮らす”という選択をする人が増えて“塩谷町ネットワーク”がさらに広がることを想うと、とってもワクワクします…!
小松原さんの「年齢問わず誰もが笑顔で暮らせてやりたいことを実現できる町にしたい」という言葉。そんな塩谷町の景色が実現する日も、そう遠くない未来かもしれません。
塩谷町の明るい未来と小松原さんの“若大家”としての活躍を、これからも楽しみに追い続けたいと思います。